転職者かく語りき(4)

面接時に懸命にアピールし、複数の面接者の中から選ばれて入社するのだから、当然期待値は高い。そのため過大評価されがちで、働いてみると、「思ったよりできないね」と思われることも多い。入社したら評価のことは忘れた方がいい。もちろんそれをバネにできるなら良いが、気にしすぎて転職しなきゃ良かった、と思わないようにしたい。その時期はいつか過ぎる。

色弱デザイナー

日本人男性の20人に1人が色弱と言われている。

色盲色弱の人は色を扱う仕事ができないと言われる。

例えば、信号を判断して機械作業を行わなければならない業務などでは、誰かの命に関わるケースもあるため、誤ることは致命的である。なので、認定資格を持っていなければ携われない仕事もある。

また、ファッションデザイナーやグラフィックデザイナーも色を扱うので、向いていないと言われている。しかし、この場合は命に関わる問題にはならないので、認定資格はない。

認定資格が必要ないため、上記のようなデザイナーの中には、色弱の人も割と存在するのではないかな、と私は思っている。

なぜなら、私もそのひとりだからだ。

私は色弱と言っても軽度なので、大きく色を誤ることはないし、業務上大きなトラブルが発生したことはない。ただ、自分の見えている世界は、他人が見えている世界と少し違っているのかも、と感じるケースはそこそこある。

例えば、「こっちをもっと目立つ色にしてよ」と言われた時に「目立ってると思うんだけどな」と心中では思っていたり、1色のデザインだと上手くいくのに、4色に変換した途端に「見え方の強弱が変わった」と言われたり、である。

私は昔から「緑色って豊かな色だなあ」と思っていた。なので、緑色は好きな色の一つだった。だが、これまでの人生体験を総合してみると、他の人が「青」や「茶」と思っている部分まで自分にとっては「緑」なのかもしれない、と今では考えている。だからきっと緑色の範囲が広くて、豊かなのである。

Mr.ChildrenなどのCDジャケットを多く手がけてきた信藤三雄氏は色弱であるらしい。確かに、配色は少しダークな物が多くて、通常とは少し違うセンスだと感じるが、そこが逆に個性となっていて、彼の作るCDジャケットはとても世界観が深い。

また有名な話だが、ゴッホは、彼が色弱であるがゆえに、彼の描く絵画はとてもビビッドで美しいのでは、と言われている。

色弱といっても種類が色々なので、一概に作るものがどのようになるかは、人それぞれだが、私も確かに、スーパーのチラシなどのとてもビビッドな配色が好きだし、また作ったものが逆に「色がくすんでいる」と言われることもある。

だからといって、信藤三雄ゴッホのように素晴らしいデザインができるかどうかは完全に別問題。

だが、一つだけ自信を持って言えることがある。それは、「色に不安を抱えている人間は、形やレイアウトにおける見やすさを必要以上に重視している」ということである。すなわち、色に頼らないデザインがきちんとできる、ということだ。

もし、これを読んでいる方が、色弱でデザイナーをあきらめようと思っていたら、それはまだ気が早い、と言いたい。確かに、誰かの作るデザインと同じデザインは上手に作れないかもしれない。だが、自分にしかできない得意なデザインもきっとあるだろう。その時、色弱は「弱」点ではなく武器になる可能性があるのだ。

転職者かく語りき3

転職者が入社してまず身につけるべきスキルとは何か?

 

それは、社内のルール、電話の取り方、お茶の入れ方、出社時の挨拶の仕方、ドアの開け閉め、エアコンの操作、お菓子の配り方、備品がどこにあるか、備品の使用、経費、タイムカード、帰宅時の挨拶、お昼休みの取り方、給湯室、有給の取り方、PCの電源、シュレッダー等々である。

障害かそうでないかということについて

私は「障害」とか「障害者」という考え方に疑問を持っている。人間とか生き物は障害がある、なしというデジタルな物差しではなく、もっとシームレスでアナログ的につながっているのではないだろうか、そう考えている。

 

そう思うようになったのは、自分もある問題を抱えていることにある時期から悩み始めたからだ。そのことは誰にも公表していない。するつもりもない。それは障害として一般認識されていない問題で、奇異な目で見られると知っているからである。

 

その時から私は考え方が変わった。目に見えなくても、障害と認定されていなくても、問題を抱えていながら、普通に生活している人は沢山いるのではないか、と。「障害」と認定されていなくても、悩みを抱えていて、しかし「それは努力で解決できることだから、努力しないあなたが悪い」というポジションに置かれている人も多くいるのではないか、と。

 

最近LGBTをオープンに語る人が増えた。これは一般的にマイノリティと思われていたことが、意外に多人数いるということに世の中が気付き始めて、それを多様性の一種と捉えるようになったからだと私は分析している。

 

「多様性」という言葉は本当に「多様である」ことをシームレスでアナログ的に許容しているだろうか?私はこの言葉に偽善のような違和感を感じる。つまり、「普通の人」というカテゴリーがあって、その周りに「普通ではない人」が存在していることを認識すること、それが「多様性」とされているのではないか、ということだ。

 

私は「多様性」とは本当は「普通などない」という意味だと思っていて、どんな存在やどんな考え、文化、生き方であっても、すべてを認め合うことだと思っている。

 

「普通の人」「障害者」「LGBT」etc...カテゴリーのどれかに属することを要求され、カテゴリー内では、そのカテゴリーのメンバーらしく振る舞うことを求められ、その中における多様性やカテゴリーの間にある多様性はあまり認められていないように私は感じるのだ。

 

カテゴリーとはそもそも、人間が社会のために作った境界線であり、境界をどこに置くかは、神は決めていないはずだ。例えば、「男」「女」の区別も、生殖器の違いや筋肉のつき具合、目鼻立ちなど多くの情報の集合で区別しているだけであり、その例外だって多くある。その例外の集合をLGBTとして新たな区分にしたということだと思う。

 

区別というのは人間のパターン認識上、してしまうものであるだろうけども、「多様性」というときに、カテゴリーとカテゴリーの間に存在している人間や生き物のことをどれだけ考えているか?が重要だと思う。

 

「普通などない」。逆に言えば、誰もが障害を抱えている。国が決めた「障害」というカテゴリーに入っていなければ、不自由ない人間かというと、決してそうではないはずなのに。人それぞれ違いがあり、見える障害であれ、見えない障害であれ、何らかの悩みを抱えていて、そのすべてを認められないのであれば、「多様性」などというのはおこがましいと思う。

デザイナーさんって何してるんですか?

「お仕事なにされてるんですか?」と聞かれると当然「デザイナーやってます」と言う。

 

相手がひと昔前の人であれば、「ファッションの?おしゃれなんですね!」となる。

 

相手が最近の人であれば「ああ、パソコン使ってホームページとか作るんですか?」となる。

 

ここで「いや、僕はグラフィックのデザイナーなんです」とさらに言う。

 

すると「へえ〜、絵描くの上手いんですか?」と返ってくる。

 

絵が実際は下手なので、「いや、絵は人並みですね、あんまり描かないんですよ」と言うと、もう相手の頭の中は「???」状態になる。

 

「デザイナー」という職業を説明するテンプレートが欲しいといつも思う。しかしたぶん作れない。何をやる仕事かは毎回違うからだ。

 

ただもし例えば「医者」が「人を治す人」ならば「デザイナー」は「問題を解決する人」かもしれない。

 

その手段は「医者」が「薬や手術で」ということなら、「デザイナー」は「視覚表現や言葉で」ということになる。

 

『「医者」と「薬剤師」がセットになって、人を治すのではなく、モノの売り方とか社会の仕組みとかを良くする、のが「デザイナー」である。』

 

うーん、小難しい。これを簡単に表現できるコピーライターの人いませんか。

新宿駅が空港に! レンポジにツッコむ(1)

 

Young Japanese couple at the airport

 

というタイトルの写真。

 

「空港の若い日本人カップル」というタイトルですが、

 

これは空港じゃなく新宿駅の地下道では?

 

 

転職者かく語りき 2

転職先の年下の同僚は「後輩」か?

答えは「先輩」である。

尊敬の気持ち忘れるべからず。